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お客様の声

私がアトピー性皮膚炎を克服するまで⑩~米ぬか酵素から遠ざかっていた頃~

2014年09月04日

部署異動をしてから、しばらくの間は定時に退社して米ぬか酵素に通っていました。
しかし、平日は残業をすることが多くなり、次第に足が遠のいて全く行かなくなってしまいました。

脱ステロイドの頃ほどの皮膚の悪化はありませんでしたが、日光に当たると小さな湿疹ができたり、疲れると首や頬が赤くなったりカサカサになったりしました。でも、休養をとって体調を整えれば薬を使わなくても、肌の状態は良くなっていきます。
屋外に出るときには日傘か帽子を着用、出かける時にはもしも!に備えて、基礎化粧品を持ち歩きました。
旅行で行った常夏の島でも黒い帽子にパーカー。プールに行っても、私は即パラソルの下に入ってしまい、友人は一人でプールに入って遊ぶはめになりました。ホテルの水は塩素いっぱいで怖いので、シャワーだけでさっと済ませ、自分の飲み水は現地でペットボトルを買って、そこに塩素を消して上質な水になると聞いて購入した小さなティーパックのようなものを入れて確保しました。
今、思い返すと神経質になりすぎていたな、と思いますが当時は真剣でした。

「疲れた時は誰でも肌の調子が悪くなる。吹き出物ができたり、肌荒れを起こす。
私の場合はそれがアトピーっぽい出方をするだけ。
自分の体の力で良くなれるのだから、もう少しおおらかに構えよう。」
そんなふうに考えられるようになり、肌の状態に落ち込むことはなくなりました。
アトピー性皮膚炎がひどくなってから、オシャレとは無縁の生活を送っていましたが、ヘアカラーやパーマをかけても頭皮がかぶれることがなくなり、メイクもできるようになりました。

2010年の春頃から諸事情により、今まで二人で行っていた仕事を私一人でこなさなければならなくなりました。
最初は頑張っていましたが、さすがに大変で上司に、限界!と伝えていました。しかし、これまた諸事情により、上司に助けを求めても、良い結果にならないという事がわかりました。
時々他部署の上司に愚痴ったり助けを求めたりしましたが、状況が変わることはありませんでした。
毎日の残業と休日出勤。
帰宅後、ゆっくり入浴することと睡眠と韓流DVDを観る時間は削れない!
という事で、夕食はコンビニで買って済ませる事が多くなりました。
その頃の心の支えの曲は、友達が送ってくれたMDに入っていた
Mr.childrenの「彩り」。仕事への行き帰りの車中で毎日熱唱しました。
家族から、
そんなに無理して頑張って、何かいいことはあったのか。
そもそも、二人分の仕事をこなせるほどの能力はアンタにはない。
状況が変わらないのなら、仕事を辞めた方がいいのではないか。
と言われました。
自分でも、限界が近いことがわかっていましたが、変な精神状態になっていて、
周りに助けを求めることも、仕事を辞めることもできないまま1年が経ちました。
今までは、自然に治っていた皮膚のカサカサと痒みが治らなくなりました。
前回の悪化の時には何ともなかった脇の下がグジュグジュして浸出液が流れました。
その頃には、顔がなんとなく浮腫みっぽくなり、髪や体が脂っぽく、体臭もきつくなったように感じました。
米ぬか酵素には行かず、ドラッグストアでサプリメントや栄養ドリンクなどを買い、一日に何種類も服用してしのいでいました。

そして、2011年の6月。
やっと、仕事が二人体制に戻った日の夜。
顔中に白い小さなプツプツができました。
なんか、見たことのあるプツプツ。嫌な予感。
ゴロゴロしていると、いつの間にか白いプツプツは消えてなくなってしまいましたが、顔全体が赤くなっていました。
う~ん、こりゃまずいかな。まあ、とりあえず寝てしまおう。
と、入眠。
そして、翌朝起きて鏡をみると顔が赤く腫れ、元々小さい眼が更に小さく、半分くらいの大きさになっていました。

うぉ~ッ! またかーーーーっ!! やっちまったーーーーーー!!!

なんとなく、こうなる予感はしていましたが……またまた、大爆発!!!です。

私がアトピー性皮膚炎を克服するまで⑨~症状が大爆発!!!の頃~

2014年09月02日

夜は痒みと痛みで眠れずにムシャクシャし、朝方ウトウトして起きると浸出液で顔や首に髪の毛がはりつき、マブタもうまく開かず。
明日は少しは良くなるかしら・・・と思いながら、日々を過ごしました。
有給休暇を頂いて20日間くらい自宅療養していました。まだ頬から浸出液が出て、眼の周りも腫れと赤みがありましたが、完治までには時間がかかりそうなので仕事に行く事になりました。

出勤初日は5時に起き、お風呂に入りお弁当を作って出かけましたが、二日目には6時に起床したため朝風呂に入れないまま出勤。三日目は7時に起床。四日目にはお弁当を作るのをやめたようで、7時15分に起きています。日記では、「今日から給食」と宣言していますが、面倒くさくなったんでしょう。本当に三日坊主です。

一番初めに症状が出始めた眼の周りの浸出液が少なくなりました。
かわりに首の状態が悪くなり、浸出液のせいでいつも首はネトネトしていました。
また、皮膚が突っ張ってしまって痛みがあるので、首がうまく回らず、振り返るときの動作の不自然さと目つきの悪さは相当なものだったと思います。

仕事に行き始めて1週間くらい経った頃、起きた時に頬やマブタからの浸出液が出ていませんでした。
こんなことは初めて!!!
職場でもキレイと言われ、喜んでいると昼過ぎから眼の周りに小さなプツプツができ始め、浸出液も出てきました。そんな感じに症状の変化が早くなり、一日の中でも良くなったり悪くなったりを繰り返すようになりました。
今までは、小さな湿疹ができたかと思うと、そこから浸出液が出てきていましたが、発疹の出方も変わり中心部分が白く周りが赤いプツプツが出るようになりました。触ると痛みがあるし、今までの発疹と違うため少し不安になり数えたら、お腹だけで30個ありました。
米ぬか酵素へは1週間に1~2回通い、入酵した日の夜にはぐっすりと良く眠れました。
「やっぱ 米ぬか いかないとダメね。」と、日記に書いてあります。
米ぬか酵素に通い始めて3カ月…。やっと気付いたの?という感じです。

4月に入っても、目の周りの腫れや浸出液が出た後の顔の傷は残っていましたが、痒みが少しずつ軽くなり、夜も割と眠れるようになってきました。
けれど、中心部が白いプツプツは少しずつ増え、全身へと広がりました。同時に時々蕁麻疹がでるようになりました。
そして、忘れもしない、2008年4月4日金曜日。
職場で昼食をとった後、腕に蕁麻疹ができ徐々に広がっていきました。
この日から5日間。結構大変でした。
仕事を早退し、自宅で入浴すると蕁麻疹は少し軽くなりましたが、活動するとすぐに蕁麻疹がボコボコと復活。痒みに耐え切れず、痒み止めの薬を内服しました。
それまではなるべく掻かないように
「痒いのと掻くのは別。」
と自分に言い聞かせ、ある程度の痒みならグッとこらえてやり過ごせるようになっていましたが、とにかく痒くて仕方がなく、全身、特に脚を掻きまくりました。
掻きまくったせいで、脚がどす黒い湿疹の跡でいっぱいになってしまいましたが、
米ぬか酵素で入酵時、奥さんにヌカを掛けてもらっているときに、
「湿疹の後はキレイに消えてしまうから心配ないよ。」
と言われ、安心しました。(言われた通り、きれいに消えました。)

蕁麻疹が全身に広がり、顔もパンパンに腫れ、動いているときには赤くなり、休息しているときには紫とクリーム色のまだら模様になりました。
脱ステロイドに取り組んでから初めて
「この状態が治らなければ、生きていても仕方がないな。」
と思いました。
ただ、あんなに悩まされた浸出液は消え、お肌はサラサラになりました。
怠くて身の置き所がなく、体の表面はカッカッと熱いのに、寒くて寒くてたまらない。
熱を測ってみると34.7℃。
布団にくるまって寝ていると、体が次第に楽になり体温も36℃台になり、
その後は37℃台まであがりました。
また、ある日の夜は21時から朝の6時まで1時間ごとに腹痛→下痢、最後は宿便。
腫れているのは体の表面だけではないようで、口の中や喉の辺り、顔の中にも違和感を感じました。
食事はとれず、重湯を少し飲んで休むという状態。
夜、横になると頭がドクドクと痛むので、クッションで上半身を起こして眠りました。
自分の状態に少し不安になりましたが、
「体が変化しているんだな。熱をあげて免疫を高めているんだな。毒を排泄しているんだな。」
と考え、米ぬか酵素と食料の買い物以外は自宅でダラダラウトウトしながら過ごしました。
見なきゃいいのに、手鏡をいつもそばに置いて顔の状態を何度も確認し、辛くなって涙ぐむ日々でした。
5日ほど経つと蕁麻疹は治まってきてアザのようになりました。
5日間、食事はほとんど食べられませんでしたが、体がとてもスッキリと軽く、食事を再開するのを残念に思うほどでした。(元気になれば、お腹も空くのですぐにモリモリ食べるようになってしまいましたが…。)

食事を食べ始めると、また眼や唇の下、首から浸出液が出てきて、チリチリと痛みがありましたが、それほどひどくならずに治まっていきました。
時折、顔が赤くなることはありましたが、どうしようもなくイライラするような痒みはなく、楽にすごせるようになりました。
マブタと首はシワシワになりましたが、戦いに勝った証だ!と誇らしく思いました。
5月中旬には先輩の結婚式に参列。
前回の教訓を活かし、化粧はほとんどしないで行きました。
久しぶりに会った先輩方からは、
「肌がきれい。スッキリしている。なんか、ヨガの先生みたい。」
と褒められ?大満足でした。

日光に当たることへの恐怖心は残っており、
上司の計らいで在宅のケアマネージャーから老人保健施設のケアマネージャーへ異動となりました。

徐々に普通の生活に戻り、あんなにお世話になった米ぬか酵素からも足が遠のいていきました。

私がアトピー性皮膚炎を克服するまで⑧~米ぬか酵素で脱ステロイド…の頃~

2014年07月30日

ステロイド塗布を止めてから1か月。
悪化した皮膚の状態が、少し落ち着いてきたかと思ったら、数日ですぐに悪化。
多少は落ち込んだものの、仕方がない・・・と受容。
痒みで一睡もできなかったけれど、焦りもなく朝を迎えるほど余裕があったようです。

紫外線予防と人の視線が気になるのとで、いつも通りマスクをつけて出勤。
皮膚状態が悪い時は、マスクも凶器。
皮膚と接する部分が擦れて痛いのと、浸出液がくっついて固まってしまうと剥がす時に痛いのと、すぐに黄色くなってしまって汚いし、なんだか落ち込んでしまう。
なので、職場につくとマスクは外していました。
いつものようにカタカタとパソコン作業をしていると、同僚が私のそばに来て

「顔が真っ赤いじゃん。
アトピーだってわかっててもね、お客さんの中には、
感染るんじゃないの?って、感染りそうで嫌だなって思う人もいると思うよ。
私の娘がそう思われていたから、言うんだけど。」

と言いました。

ガビーン…。

人に見られるのはとても辛かったけれど、仕方がなく外回りや必要なら接客をしているのに…。
その頃の私は、自分で自分のことを

アトピーが酷くても仕事を休ませてもらえず、でもその状況に負けずに頑張っている
可哀想だけれど根性のある女子

と、気分は悲劇のヒロインでした。

まさか、周囲がそんな目で私のことを…
見ているなんて……考えも、
しなかっ………た…………。

張りつめていた糸が、プチッと切れてしまいました。
その日から、日記には後ろ向きな事がたくさん書かれています。
かと思うと、
日々の小さな嬉しい出来事が書き連ねてある日が何日か続き、
なんとか前向きになろうと必死の様子が伺えます。

朝起きて出勤しようと準備はするのに、鍵を持って家を出ようとすると
ポロポロ涙が出てきて仕事を休むことも。
そんな日は、「今日一日ゆっくり休んで治してしまおう」
と、考えていましたが、1日で治るはずもなく自己嫌悪におちいっていました。
そんな生活を2週間くらい続けましたが、さすがに限界。

「今日の仕事を最後に退職しようと思う」
と、以前一緒に働いていた管理職の方にとっても自分勝手なことをちょこっと話したら、
その方が上司に話をしてくれ、すんなりと2週間有給休暇をとれることになりました。

有給休暇中は、顔全体が腫れて浸出液でゾンビのようでしたが、
両親宅や姉宅に遊びに行ったり、
仲の良い友達がアパートに遊びに来てくれたり、自宅に招いてくれたりして、
気分転換をさせてくれました。
米ぬか酵素風呂へは、当日電話をして予約する、というユルイ感じで通っていましたが、オーナーの黒田さんにいろいろ為になる話を聞き、奥さんはヌカを掛けながら、この前より首がきれいになってるよ。とか、
良くなっているところを伝えてくれて安心することができました。
また、お店でアトピー性皮膚炎の方と会いお話しすることで、だいぶ気持ちが楽になりました。
「皮膚の調子が悪くて休んでいると、怠けているとか甘えているとか思われる。」
「もう、痒みに強くなって、蚊に刺されたくらいじゃ、なんとも思わないよね。」
など、アトピーあるある を言い合って、気分転換をしていました。
また、酵素風呂で皮膚状態が良くなった方に会えるのが嬉しく、アドバイスや励ましをもらって頑張ろうと思えました。
私がアトピー性皮膚炎だと知ると、健康食品や化粧品を扱っているたくさんの人が声をかけてくれました。
しかし、だんだん酷くなっていく様子をみると、みんな
「病院に行った方がいい。」と言いました。
「よくなるから。大丈夫。」
と、最後まで付き合ってくれる覚悟で接してくれたのは、米ぬか酵素にかかわる方達でした。
夜は眠れず、顔や目は浸出液でバリバリでした。
どうしても辛い夜には、捨てずに持っていた痒み止めの内服薬を飲み、眠りました。
日中は、乾燥してしまうので、いつも水の入ったスプレーボトルを持ち歩き、シューシューと顔にかけていました。(本当は、乾燥させないとダメみたいですが、当時は知りませんでした。)

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