まだC医院に通院している頃に、職場を変えてもらうことにしました。
2006年のこと。
病院から同じ法人内の介護施設に異動し、
在宅で介護を受ける方たちのケアマネージャーとして働く事になりました。
社会での一般常識とは縁のない生活をしてきてしまった私。
電話の応対からファックスの仕方、お客様や業者の方たちへの対応、市役所への出入りの方法などなど、先輩ケアマネージャーに親切に教えてもらいました。
ああ、電話って初めて掛けた先にも「お世話になっております。」って言うものなのね。
これからお世話になるのであって、まだお世話にはなってないけどね。
など、本当に初歩的なことにイチイチ感心する毎日でした。
担当の利用者様の自宅やデイサービスや病院、市役所など、施設外に出ることが多くなりました。
日に当たると皮膚の状態が悪くなるのは経験済み。
憎き紫外線め!完全に防いでやる!
顔には紫外線を防ぐと言われたパウダーをはたいていましたが、
クリームや乳液状の日焼け止めは肌がチリチリしてしまい塗ることができません。
なので
黒い日傘&黒い帽子&マスク&綿のスカーフ
黒い日よけパーカー又は黒の長手袋
で完全防備。
全身黒で包まれた私。
施設の駐車場を歩く私の姿をみかけた同僚が、
「川本、黒尽くめだね~。女優さんみたい。女優川本。」
と言いました。
女優並みの紫外線対策をしても、
瞼や頬、首がチリチリと痛痒く、赤く腫れることがありました。
真夏に帽子も被らずノースリーブ姿で自転車に乗っている人を
うらやましく思いながら見ていました。
そして、
今まで、常夏のリゾート地で楽しく遊んだり、
すぐにやめちゃったけどボディーボードをしてみたり、
見苦しくない程度の露出をして遊びに行ったりもした。
もういい年だし、そんなことをしたいとも思わないけれど、
私よりも若いアトピーの子達はどうするのだろう。
海やプールはどうするんだ。肌見せファッションができないではないか!
と思いました。
次第に新しい職場に慣れていきました。
前任者が残して行ってくれた書類の整理で休日出勤することも。
疲れが次第に溜まっていきます。
肺がんの末期と診断され、在宅で療養していた(私は離れて住んでいたので、週末に様子を見に帰るくらいで、母が介護をしていました)祖母が亡くなり、葬儀が終わった頃。
緊張がほどけたのでしょうか。
顔全体が真っ赤になり腫れてしまいました。特に瞼が腫れ、眼を明いているのも大変。
C医院への通院をやめた後、なるべくステロイドを塗らずに過ごしていました。
でも、もう無理。以前一緒に働いていた先輩たちとの食事会にこの顔では行けない。
と、C医院で処方してもらい残っていたステロイドを塗りました。
そして少し横になっていると、
顔全体から何かが流れ出してきました。
汗や涙と間違えるくらいに、顔全体から黄色の浸出液がタラタラと流れてきます。
ああ、恐ろしい。自分ひとりでなんとかするにはもう限界だな。
病院へ行こう。
今までもいろいろな人に受診するように勧められていたD医院に行くことにしよう。
漢方主体の治療みたいだし、今度はきっと良くなるに違いない。
懲りずにまたまた皮膚科受診をすることにしました。